留学中に元小学校教師が起業した話

日本で小学校の教師をしていました。日本教育の闇に気づき、今は退職して、オーストラリアで会社を立ち上げました。教員を育てたり、子どもたちに多様な価値観の教育をしています。海外に出て感じた、日本教育の矛盾点。現場で感じてきた違和感。そして体罰などで明るみになってきた教育現場の閉鎖感。全ての真実を公開していきます。僕たちはあくまでも、個性や創造性を潰されている子どもたちを救いたい。激務で多忙な生活を送って頑張っている先生たちを救いたい。子どものことを第一に考え、負担なく安心して仕事に行ける保護者を助けたい。そん

なんも才能のない小学校教師が、起業して株式会社2社の代表になったプロセス①留学のきっかけ

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僕は元々いつかは起業をして、自分の好きな事でお金を稼いで生きたいと爆然と考えていた。10代の頃はそんなことを思いながら今を生きる生活をしていた。酒、女、ギャンブルなどいろいろな遊びに夢中になった。学生時代に就職活動も少しはしたが、なんとなく周りがしているからそれに合わせて就活をしていたが働くこと、お金を稼ぐということに関してイマイチピンとこなかった。

そんな日常を繰り返していくうちに周りは就職先を見つけていた。

就職は嫌なので、海外留学でもしようかと行動に出た。海外留学といえば響きが良いので働かなくても周りから非難されることはない。そう思って逃げの選択をしたのだ。

留学先をオーストラリアと決めた。南国で海も近くて、治安もそこそこ良い。直感的にココだと感じた。シドニーメルボルンという大都市ではなく、普通のところに住みたかった。海も近ければ良いけど、絶対にいつかは飽きると感じて、ビーチは程よく遠いところ。それを選び抜いたのがブリスベンという都市だった。留学の話が順調に進む中、事件が起きる。

大手留学エージェントが破綻したのである。語学学校の費用、飛行機代、保険など全て補償がないらしい。幸い僕はここのエージェントを使用していなかったので実害はないが、何となく留学熱が冷めたのである。今は行くな。そう聞こえた。

その時はすでにGW後。世間は新社会人がスタートしている世の中だった。

留学の熱は冷めたので、働くことを決意。そして教師の募集情報を見つけるとすぐに応募した。応募後、翌日には面接面談の連絡が来て、すぐに髪を黒く染めにいったのを覚えている。

面接面談後すぐに採用が決まった。公立小学校の特別支援学級の担任枠だった。1週間前に前担任が倒れて、代わりを探していたらしい。翌週からすぐに働くことになった。

大学生時代は東京に一人暮らしをしていたが、4年の秋頃にはアパートを引き払い実家に帰省していた。その間に始めた家庭教師のアルバイト。教師になることに急に決まったので、バイトも辞めるしかない。その事情を生徒や親に伝えるが、是非とも継続してしどうしてほしいとのこと。そんなこともあり教師と家庭教師の仕事をしばらく続けた。

教師になって持った夢は3つあった。

1、いつかは母校で働くことと

2、好きなバスケを子どもに教えること

3、バスケの大会で優勝すること

こんな夢を僕自身は抱きながら教師の生活を送っていた。40年という教師の生活の中で果たして叶えられるのか。そう思いながら働き出して4年目。全ての夢が叶うのである。

母校で働きながら、そこの女子バスケ部を任される。地区の大会で優勝。あれ?全て叶ってしまったぞ?

ぼんやりと暮らしながら、結婚や将来をどうするのか考えて5年目の教員生活が始まった。5年も働いて気づいた思い。それはこれを後35年もやるのか?という果てしなく、ゴールが見えない長い戦いにうんざりしていた。

5年目に担任になった3年生の授業の時、『夢を語る』という内容で作文を書く学習があった。子どもたちは将来の夢について作文を色々と書いていく。添削をする自分。そこで1人の子どもが僕にこう尋ねたのである。

『先生の夢は何?』

僕はこの質問に答えることができなく、適当にあしらった。

「君たちが幸せに生きることかな」って。

その日から子どもの質問が頭の中をずっと彷徨っている。

 


『先生の夢は何?』

 


幸せってなに?

 


ずっとこの思いが胸の中でモヤモヤと蠢いている。

 


そんな中同棲していた彼女とも別れる(彼女も教員)価値観の違いから結婚はできないとのこと。今思えば自分自身が結婚する気がなかったのだと思う。

この辺りから、留学熱が再び燃え出したのである。

 


そして教員生活6年目。何も変わらない環境、自分の人生、人付き合い、全てがマンネリ化していて、一言でいうと刺激が足らなかった。幸せってなんだ?生きるってなんだ?夢ってなんだ?この思いが爆発して、教員である両親に相談した。

このまま一生先生でいいのか、何も刺激のない人生が幸せなのか、何かしたいことがあるのではないか。話を終えた両親が僕に放った言葉は

『海外に出てみなさい』『教師という世界は狭い』『世界を見てみなさい』

という言葉だった。これで吹っ切れた。もう絶対に海外に行くということを。

 


そして2ヶ月の準備を経て、6月にオーストラリアへ行くことが決まった。正直、寂しい、怖いという感情はあった。ただそれ以上にあった感情は『好奇心』だった。観たい、知りたい、感じたい、そんな思いが恐怖を断ち切るのである。

友達、仲間、家族、を全てリセットして新しい自分をどう活かしていくのか、発見できるのかが恐怖でもあったし楽しみでもあった。

こうして僕の奇想天外な人生が幕を開けるのであった。

2015年6月、僕の留学生活が始まったのである。

 

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