「元教師のノンフィクション小説 『第5章 俺にはやっぱこれしかない』」
第5章「俺にはやっぱりこれしかない」
ホテル生活が何日か続いた頃、センセーのところに1通のメールが届く。
『3日後にブリスベンに着きます。よろしくお願いします。』
25歳、りなさんからのメールだった。
実は2ヶ月ほど前にインターンの依頼のメールをこの子からもらっていたのである。
『日本語指導などをして子どもに教育をしたい』
『将来は教師になりたい』
そんな思いで、僕の会社のお手伝いをしに日本から来てくれると言うのだ。
2ヶ月前といえば、シェアハウスもあり、事業もたくさん行い忙しくしていた時期だった。そんなときに簡単に『可能です』なんて言ってしまったもんだから。すっかり忘れていた。しまった。お家がない。今までの経験を頼りに友達に当たっていく。せめて彼女だけでもお家を確保しなければ。。。オーストラリアに来てお家がないなんてシャレにならない。
なんとか、知り合いのツテを使って2部屋を確保できたのである。
これを機に、僕は元々の本職である「教育」という、原点に返り、また一から事業を立て直すことにしたのだ。2017年8月のことだった。
そして、ここから二人三脚の日本語指導が始まるのである。りなさんは教職免許はあるが未経験。子どもへの接し方から、教材の作り方、子どもの特徴や考え方など教えられることはなんでも教えた。そしてりなさんも実践を重ね、自信と実力をつけていった。
そんな二人三脚が続いて1ヶ月が過ぎた頃、大きく事態は良い方向へ動き出す。
それはまたもや1通のメールからだった。
『オーストラリアから英語を喋れる先生を紹介してほしい』
『来週にオーストラリアへ行くので、是非会えないか?御社のビジネスに大変興味がある』
という内容だった。送り主はどこかの大学の教授。とんでもなく偉い人が連絡をくれたもんだ。僕は正直、会うのをためらった。大学の教授、そして教育視察に10人で来る。その10人は日本で英語教育を昔から推進してきた超がつくエリート先生たち。こんな俺が超エリートたちと会食?そう考えると自分の実力のなさを悔しんだ。
でも行くしかない。ここで逃げたら全てが台無しになる。震える膝を抑えながら、高鳴る期待と好奇心を持ちながら会食場へと向かった。
そして会食は大成功。
専属的にオーストラリアから日本へ教師を紹介する事業が成立したのである。
「早速誰か紹介できる?英語の資格を持っていて、教員の資格も持っていて、なおかつ留学経験がある人」
「まあそんな人が居ないから困って探しにきているんだよね」
「。。。。います!!」
「うちのスタッフにいます!!!」
なんと、りなさんが条件に全て当てはまっていたのだった。
すぐさま話が進み、なんと教師派遣事業の第一号として正規の先生にヘッドハンティングされたのである。
りなさんはその後5ヶ月ほど、オーストラリアで日本語指導の仕事を手伝い、帰国後、夢であった先生の仕事に就いたのである。
一から始めたオーストラリア人への日本語指導、そしてそれを手伝う日本語指導インターン、そしてそれらの経験を活かして就職サポート教師紹介、新しい事業の流れが完成したのである。