留学中に元小学校教師が起業した話

日本で小学校の教師をしていました。日本教育の闇に気づき、今は退職して、オーストラリアで会社を立ち上げました。教員を育てたり、子どもたちに多様な価値観の教育をしています。海外に出て感じた、日本教育の矛盾点。現場で感じてきた違和感。そして体罰などで明るみになってきた教育現場の閉鎖感。全ての真実を公開していきます。僕たちはあくまでも、個性や創造性を潰されている子どもたちを救いたい。激務で多忙な生活を送って頑張っている先生たちを救いたい。子どものことを第一に考え、負担なく安心して仕事に行ける保護者を助けたい。そん

『元教師のノンフィクション小説 第7章「今度は絶対に友達を救う」

第7章「今度は絶対に友達を救う」

先生の事業は順調に進んでいた。一旦は全てを失ったものの、りなさんという新しい仲間を筆頭に英語指導者になりたい人や日本語指導を手伝いたい人が集まってきたのである。

そのタイミングで、第1章飲み屋で出会った女(英語指導者資格を取った人)がオーストラリアへ戻ってきたのである。しかも僕の会社を手伝いに。

「暇だし、おもしろそうだから一緒にやらせてよ」

度胸も行動力もあるこの女の人を僕は副代表に置いた。スタッフの指導や育成に携わってもらい、同じシェアハウスに住むことになった。3人で住みだしたお家もすぐに6人になった。日本語指導を手伝いに来た子、英語指導者の資格を取りに来た子、ショートステイのオーストラリア旅行に来た子。男1人、女5人というパラダイスな生活が始まった。

女だけの生活を覗くのは初めてだ。女性の生態をここで少しだけ紹介しておこう。

 


彼女たちは基本、ソファーやベットでケータイをいじりながらゴロンとしている。

誰かがつぶやく「お腹空いたな。なんか食べようかな」

これを皮切りに、みんなが待っていましたといわんばかりにお菓子タイムが始まる。

誰かが食べ出すのを待っているんだろうか。

次はお菓子を食べらがら昼食の話をする。

「何を作る?」「何が好き?」「食材何あったっけ?」

話すのは全部、ご飯のこと。いつでもどこでもご飯と恋愛の話なんですね女性たちは。

思っているよりもおっさんみたいな生活を女性も送っているんだなと実感した。

 


そんな生活も2、3ヶ月が過ぎた頃、またもや事件が起こる。

この家のオーナーはオーストラリア人。僕たち6人だけが住むお家。その頃にはお客さんや友達が家に頻繁に出入りするようになり、完全に僕たちの家のようになった。

それをよく思わないオーナー。(オーナーとは一緒には住んでいない)

オーナーに媚びず自分たちだけで世界を作る僕たちに嫉妬したのだ。

そして嫉妬からくるいじめが女性たちを襲った。

必要以上な掃除の要求(毎日誰かしらはしっかり掃除している)

身に覚えのない器物破損(前からある傷や家具の故障に文句をつける)

 


そしてそのうちに、帰国時期や彼氏ができたなどのそれぞれの理由で女性5人全員が家を出て行ってしまったのである。たった2週間でのことである。

またしても仲間を失った。家に残ったのは俺1人。2週間前までパラダイスだったはずのこの家が。。。前回と同様、失う時はいつでも一瞬なのだ。

 


1人での生活がまた始まって1週間が経った頃。1通のメールがまた先生を突き動かす。

『久しぶり!日本に戻ったけど、全然楽しくないから、オーストラリアにまた留学しようかな、もう来月には行くからさ!全部おねがいしたいんだけど』

というバロ君(第1章参照)からのメールだった。

彼は1年半前にした約束を覚えていたのだ。

『いつかバロ君がオーストラリアに戻ってこれるように、俺全部準備しておくから!』

『家、学校、ビザ、仲間、仕事、ぜーんぶ用意しておく!だからまた来たくなった時は連絡してな』

と言って最後にお別れしたのだった。

このメールを見て考えた。

『よし、シャアハウスを経営しよう』

『そしたら仲間がずっと居られる。』

ここからセンセーの不眠不休の行動が始まった。

 


シャアハウスを借りると言っても簡単ではない。

お家を探す。家具を探す。入居者を探す。この3つをスムーズに行わなければ行けない。できれば2週間以内。今は年末年始でバイトも忙しい。週に50時間は入ってしまっている。自分の会社や日本語指導の先生、そして学生などを掛け持ちしている状態。かなり厳しい。いけるのか。間に合うのか。

バイトの合間をぬって不動産屋に通い続け、やっと良い物件を見つけたのである。

家賃20万。敷金20万。合計40万。

7LDK、プール、ガレージ、バルコニー付きという超良い物件。見てすぐに決めた。ここだ。センセーはここで新しいサンクチュアリを作ると決心したのだった。

7部屋もある大きなお家の家具を集めるのには相当苦労した。ベット、机、椅子、全てを各部屋に揃えなくてはいけない。冷蔵庫、洗濯機、テレビなどの大型のものも入れたら費用がとんでもない事になる。せめて20万以内に収めたい。

インターネットや知人を駆使して、無料でもらえる家具を集め回って、1週間。

トレーラを借りて荷物の搬入。新規入居者の募集と宣伝そしてインスペクション対応。

あっという間に2週間は過ぎた。人生で1番忙しい2週間だったかもしれない。もういちどこれをやれと言われたら間違いなく断るであろう。それくらいの労力とお金と時間をかけてオープンしたシャアハウスだった。

そしてその家の名は

『ゴンザレスハウス』

瞬く間にこのお家は満室になった。

フリーな空間。自由なルール。お互いがお互いを尊重し最低限のマナーは守れる住人。

フランス人、ドイツ人、日本人、オーストラリア人。さまざまな友達がこの家を利用するようになった。BBQ、キャンプファイヤー、プール、ガレージでは卓球やダーツ、WiiPS4だってある。大きなスピーカーに重低音のウーハー。プロジェクターに写出された最新の映画。ライトアップすればクラブに早変わり。

最高のお家を手に入れたのだった。どんな人でも受け入れる。長期、短期問わず、性別問わず、国籍問わず。困っている友達や仲間を救うことができたのである。

夢や希望を抱いた戦士たちが集まるお家、ゴンザレスハウスが誕生し、サンクチュアリが完成したのである。

この時、ゴンザレスハウスがまた大きな事業を引き起こすきっかけになると気付いていたのはセンセーだけであった。